2010年代後半の音楽

 

後半の事書かなきゃと思いながら随分と時間が経ってしまった。

2010年代前半はUSインディー音楽にドップリであったワタクシも、気がついたらやや遠ざかってしまっていた。というか音楽を聴くこと自体、これまでの人生と比較して圧倒的に減っていた。これは、ライフスタイルが大きく変わったことによる。代替策として、お金の掛からないレコード蒐集にシフトして新譜はあまり買わなくなり、今や値段が釣り上がっている80'sポップや古い7インチ、それに聖歌や童謡をよく買った。童謡と聖歌を集めている物好きは皆無だろうから、密かに少しずつ増やしていた(この辺の話は、また別の機会に)。

そんな中、音楽的嗜好の転換として2015年に放映が始まったフリースタイルダンジョンの影響は大きかった。わたしよりひと回り若い世代のラッパー達は、00年代初期から地下でファイトクラブさながらにライミングを磨き続け、エンターテインメントとアートフォームを絶妙に組み合わせた産業にまで築きあげていたのは、驚嘆すべきものであった。

色々と音源を漁っていくと、フリースタイル/ラップバトル界隈以外でも、ラップミュージックの可能性を拡げ続けているアーティストがあまりにも沢山いて圧倒されっぱなしであった。それと、やはり東京に居を移したせいか、多くのラップミュージックが持つ、都会の緊張感や息詰まる感じに再び共感を覚えたのかもしれない。特にヘヴィローテーションだった曲たち。

 

KOJOEはこの曲をきっかけに一聴してファンになりました。

NYで鍛えた圧倒的なスキルを持ちながらも、少し力を抜いた歌心あるフロウが心地よく今でもよく聴く好きな曲。後に7インチが出たときは勿論購入した。

 

90年代から活動を続けるSilent PoetsがPSGから5lackをフィーチャーして生み出したケミストリー。10年代でのPunpeeと5lack兄弟の活躍振りは目覚しいもので、私も2018年のフジロック で彼らを目の当たりできたのは良い体験でした。

 

Fla$hbackSの類稀なる才を持った3人は、ソロでもそれぞれクラシックを生み続けているが、その中でも特に好きな曲がコレ。鋼田テフロン、つまりBachlogicのビートとフックは完璧だし、JJJも都会の痛みを知るリリシスト。「醒めたスタイルの戦争、どれも過去」とか「スマイルで背負うそれぞれの十字架」など沁みるパンチラインが多い。

 

Libroは90年代にもフィジカルリリースしていたいわばベテラン。個人的には当時Doytena2000での大幅減点イメージがありましたが、この曲を聴いて一気に変わりました。餓鬼レンのポチョムキンもLibroのアツいビートとフックに応えるべく、ベテランらしいライム巧者ぶりを披露。

 

YENTOWNもAwich加入あたりから無双状態で、若手筆頭株kZmソロ曲でも存在感を発揮。

chaki zuluも今を代表するプロデューサー/ビートメイカーですね。

 

minchanbabyは長い活動期間とコンスタントなリリースに対してアンダーレイテッドな一人と思われる(歴史を辿ると大阪の伝説的フリースタイル集団に行き着く)。この曲で語られている、衝動的な自殺願望とある種の怠惰がそれに歯止めを掛けている不安定な日常は、自分も今の会社ではんごろしにされかけた2013年頃に近い感情を抱いていたので共感するところがある。この曲を収録したアルバム全編を粗悪ビーツが手掛けており、ハイファイかつ凶悪なビートが聴くほどにクセになる。当時CDをアマゾンで注文したが、早々に売り切れてしまったようで配送されなかった。

 

チプルソの存在を知ったのは比較的最近であったが、フリースタイル愛聴家には知られた存在のようだ。一聴してフロウ良さに引き込まれるが、現場で鍛えただけでなく、天性のセンスを感じる、鎮座やTwigyのような。