Welcome to the story pt.3

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1992
一番偏差値の低い学部に何とか入ることが出来て、晴れて大学生となる。心を入れ替えて真面目に通って勉強していたが、通学途中の渋谷レコ屋通いは欠かさなかった。新譜だけで無く、コスパの良い中古も沢山抜いた。ディスクユ◎オンが、ヒップホップやハウスやテクノがお金になると気付くはるか前のこと。平日は朝から午後まで学校で帰りに渋谷ディグ、週末はバイトのルーティン。理系大学だったので真面目に勉強せずに単位の足りない奴は上がれないシビアな世界であったため、夜遊びする余裕は無かった。新譜はWAVEやCISCO、中古をユニオンでディグるルーティンであったが、この頃にmanhattanも宇田川町に移転してきて、ルーティンに加えられた。

1993
年始頃であったろうか、我が家にCATVが敷かれてスペースシャワーTVやMTVが観られるようになったのは大きかった。RikoがVJを務め、ユルい日本語字幕が最高であったYo! MTV Raps、スペシャのBUM TVはどの曜日も欠かせなかったが、特に藤原ヒロシとYouの二人が出演する曜日が抜群に面白かった。m.c.A.T.の歌真似して遊んでいたら、そのうち本物がゲストで来たりとか。スペシャは他にもUFOがナビゲートするアシッドジャズ特番やヒップホップレーベルのRelativity特集など、よい意味で狂った番組作りをしていた時期。夏休みに猛烈な勢いでバイトをして、念願のターンテーブルとミキサーを購入。SL-1200mk3を2台、ミキサーはVestaxのPMC-46、当時のミキサーではかなりの上位機をいきなり買う暴挙に。しかし、アルミ削り出しのロータリーフェーダーが生み出す絶妙なミックス感と、当時としてはキレのいいクロスフェーダーも搭載してホント名機。後年売ってしまったことを後悔。DJ Krushがremix誌で推してたDJ ShadowのIn/Fluxを知る人ぞ知る迷店Liverpoolで無事捕獲。Mo' Waxはアシッドジャズの流れで買っていたが、それらとは全く異なる超絶サンプリングコラージュとダウナーで酩酊的なビートに心酔した。テクノでは、Ambientと呼ばれるベッドルーム向きの作品に惹かれていた。Aphex Twin、Black Dog Productions、Reloadなどをよく聴いた。一方でヒップホップはNY至上主義を貫き、ハウスはMasters at Workのリミックスが目に付いたら何でも買っていた。そしてあのBjorkが待望のソロを出した。シングルカットのリミックスにはUnderworldやMasters at Work、David Morales、Fluke、Justin Robertson、Black Dog Productionsなど私の好きなアーティストが名を連ねていたので出る度に全部買った。夏ごろに、高校の同窓生の飲み会である人物と会う。クラスは一度も一緒になったことが無いのに時々話したことがあるシャレオツな男。音楽が好きで大学でジャズ研に入っていて、ルーツはモダンジャズだが最近のレコードも買っていると話す。心理的レコードじゃんけんが始まり、お互い好きなジャンルやアーティストを小出しにする。私はYoung Disciplesが好きだと言うと、その男はGallianoが好きだと応えた瞬間、お互いマイメン確定。その晩は2人で朝まで飲み明かした。

1994
何とイビサに行く。たまたま高校の同級生が隣のマヨルカ島に住んでいたので遊びに行ったついでに連れて行って貰った。Amnesia、Pacha、Kooなどメジャー箱をひと晩でハシゴ。しかしレコ買いはヒップホップにシフトしつつあった。この年はNAS "Illmatic"がリリースされた重要な年だ。そしてマイメンと毎日のようにレコ屋巡りとレコ談義。アシッドジャズも下火になりつつあったが、talkin' Loudは買い続けていたな。

1995
いよいよ不景気感が世を覆い始めていた、就活にも顕著で学校推薦のゼネコンに見事落ちた。単位は充分過ぎる程取ったが就職出来なきゃ大学なんぞ何の意味もないのでメタクソに適当な卒論を出して、あとはヤケクソでひたすらレコードを買いまくった。マイメンが日本のヒップホップが面白いと色々と聴かせてくれた。マイクロフォンペイジヤー、キングギドラ、ランプアイ、そしてブッダブランド、等々。今までに聴いたことの無い日本語のフロウや言葉の組み合わせ。新しい時代の幕開けを感じた。

1996
大学卒業とともに即無職、卒業式はすっぽかしてインドとネパールへ一ヶ月ほど旅に出た。公務員を目指すとか言いつつコネの見込める募集も無かったので円山町にある小さなクラブでバーテンのアルバイトを始めた。しかしメインのパーティは週末の結婚式二次会だ。あと、月一だったかパンクのイベントは盛況だった。皆オシャレで、そして飲みっぷりが良かった。そしてバイト代は相変わらずレコードに突っ込み、マイメンとあらゆる店の買付け放出に並んだ。この年は、さんぴんキャンプと大LB夏祭りで日本のヒップホップも盛り上がっていた。どちらか行っておくべきだったと今でも後悔。歴史の立会人になり損ねた。

1997
春ごろにオーナーと掃除の仕方で揉めて店を辞めた。いよいよ人生詰んだ感があり、全く何にもやる気がしなかったが、レコードに刻まれた音楽だけが生きがいだったのでレコ代を稼ぐために次なるアルバイトを探そうと情報紙を買った(そういう時代)。たまたま、よく通っているあのレコード店が卸/通販部で募集をしていた。年齢ギリギリ、ダメ元で出してみっかと取り敢えず履歴書を送った。一週間が過ぎて音沙汰も無く、まあそりゃ無理だよなーとマイメンと江ノ島繰り出して海を眺めながらマックのハンバーガーかじっていたら、携帯電話が鳴った(無職のくせに持っていた)。例のレコード屋からだ。

この先の話は、またどこかで。